noteの記事から当サイトに来ていただいた方、ありがとうございます。
「いつも助かってます」丁寧な言葉の裏側で、削られていったもの。
そんな丁寧なSlackが来るたびに、私の心は少しずつ摩耗していました。
「自由」を求めて飛び出したフリーランスの私が、なぜあえて今、不自由だと思っていた「会社員」に戻るのか。その決断の裏側にある絶望と、自分を取り戻すための選択についてお話しします。
同じように「やりがい搾取」に悩み、自分の価値を見失いそうな方に届いてほしい。 そんな思いでつづります。
noteの元記事は以下からどうぞ。noteには下記のほかにも、やりがい搾取から抜け出そうとしてもがいている様子が記されています。

こんな方へ
✓ 業務委託なのに正社員並みの責任を負っている
✓ 職場の人間関係はいいけれど、待遇に納得がいっていない人
✓ 自分のスキルを「安売り」していると感じている人
スタートアップで「名ばかり労働者」になった自分
コロナ禍を経て、再び活気を取り戻したインバウンド業界。全国通訳案内士の資格を持ちながらも、家庭の事情などでフレキシブルに全国を飛び回れない私にとって、英語で日本の魅力を発信する仕事は「やりたかったこと」そのものでした。
業績の伸びとともに業務も拡大。当初は、これまでの経験を生かした形で翻訳チェックのみでしたが、業務は雪だるま式に増えていきました。
当時やっていた業務です。
- 日本語文の校正
- 画像加工・Web入稿
- システム入力
- 取引先との調整
- 工程管理
- スケジュール調整
- 正社員の仕事の巻き取り
一時は、23時まで記事作り。「もっと良い記事を書きたい」という一心で、学芸員資格の取得まで決断。記事作りに没頭していました。学んだ内容はすぐに伝統工芸の英文記事制作に活かすことができる。わくわくしました。
しかし、気づけば私は「記事制作」を飛び越え、正社員のKPI達成を応援する「工程管理者(現場監督)」にすらなっていたのです。
インバウンドスタートアップで働きはじめるまでこちらから

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私を削っていく「いい人たちの集団」
経営陣も正社員もフラットで、Slack上では常にクッション言葉が飛び交う「心地よい環境」。間違いを指摘するときすら丁寧な「いい人たちの集団」。常に前向きで失敗を恐れず挑戦を歓迎する姿勢。正社員と業務委託の垣根がないコミュニケーション。
一見素晴らしい環境。そして自分も気に入っていた環境。だからこそ、少しずつずれていような、違和感を感じながらも「契約を更新しない」という決断が遅れてしまいました。

目まぐるしい人の入れ替わりと、仕事量の増加。文字上の「丁寧さ」とは裏腹な現場の疲弊に、私の心も体も少しずつ削られていきました。
200記事めの絶望。突きつけられた「身分」の壁
私は周りの正社員の熱量に押され、目の前のタスクに全力を尽くしました。
徹底した工程管理で未達ゼロ。
AIによる作業効率化。
丁寧なフォローによる退職者激減。
わたしが同じ業務委託メンバーの業務アサインをしていた時は、チーム内退職者は1年で1名のみでした。
毎月、成果を引っ提げて時給交渉を行いましたが、1年経っても、100記事公開しても、私の時給は1円も上がりませんでした。
身体は悲鳴を上げ、首と肩は吐き気がするほどガチガチ。100記事めを公開し、150記事、180記事、と公開記事は積み上がり、200記事が見えてきたあたりで、ようやく悟りました。
「ここであと200記事まで積み上げたとしても、このキャリアに先はない。私は今、搾取のループの中にいる」

透き通っていたはずの水は
期待や我慢、飲み込んだ言葉が混ざり続け
静かに濁っていきました。
気が付いたときには、もう元には戻せなくなっていました。
それは誰かのせいではありません。
自分のせいでもありません。
だからこそ、器を変え、もう一度やり直す必要があるのです。
最初は、この会社とメンバーの役に立ちたいという気持ちだけで、業務改善を始めました。
ありがたいことに、成果も出ました。自己肯定感も育ちました。
しかし、報われないことを悟った今、以前と同じ気持ちで続けることはできません。
場所を変える必要があるのです。
転職活動で知る。もったいないは最高の誉め言葉
わたしは転職活動を始めました。40代の転職活動は新たな試練でした。
転職エージェントに相談したとき、「正直に申し上げます。ご希望の条件はなかなか難しいです」と言われました。本当にその通りでした。面接数時間前に「他の方に決まったので」とキャンセルしてきた企業もあり、気持ちが折れそうになったこともありました。
書類選考を通過するのも一苦労。かなりの時間を要しましたが、エージェントから2つの企業を紹介いただき、面接となりました。
面接1社目は、IT人材派遣会社でした。昼休み時間に社長と1対1の面接。社長は熱意にあふれており、ビジョンも明確。魅力的なキャリアを提示されましたが、提示条件はやはり「業務委託」。 「また、やりがい搾取のループに入る」と感じました。どれほど条件が良くても、構造が同じなのです。面接後、迷わず辞退しました。
次は、これまでの経験が直球で活かせる、化粧品関連の日本語記事制作の広告会社でした。面接は好感触。会社員時代の薬機法などの知識も生かせる。明日にでも働ける、と未来を確信しましたが、「弊社にはもったいない方なので」という理由で不採用になりました。結果を聞いた最初は拍子抜けし、「不採用のための、体裁のいい断り文句ではないか」と苛立ちすら感じました。しかし、転職エージェントを通じて再度不採用の理由を確認したところ、「きっと他の企業さんで決まると思います」との高い評価が返ってきたのです。

そのとき、霧が晴れるように気が付きました。搾取されていたと思っていた時間は、いつの間にか私のステージを上げるための、過酷だけれどもかけがえのない修行期間になっていたのです。
前向きな気持ちで、前々から気になっていた地元企業の扉をたたきました。面接では等身大の自分をさらけ出し、丁寧に「ここで、地元に貢献したい」という気持ちをお伝えしました。ほどなくして、代表者さまから「いっしょに働きたい」とお返事がありました。
「自分を大切にする」と決めたとき、世界は驚くほど優しく、私を迎え入れてくれたのです。
最後の一片の未練が音を立てて消えた瞬間
その後、業務委託として働いている企業に契約終了を申し出ました。
業務委託はいわば使い捨ての労働力。きっとあっさりと辞めることになるだろうと思っていましたが、驚いたことに引き留めを受けました。契約解除の意思を伝えると「副業としてなら何時間くらい働けますか?」とのこと。私は最後の望みをかけて、建設的に交渉しました。
「これまでの実績を評価し、時給を上げていただけるのであれば、継続も検討します」
しかし、返ってきた答えは「NO」でした。

辞めると言えば引き留める。けれど、これまでの働きと今後の貢献に見合った対価を払うつもりはない。がんばったところで報われないのです。 その瞬間、私の心に残っていた最後の一片の未練が、がらがらと音を立てて消えていくのがわかりました。
「ここでいくら実力を挙げたとしても、わたしは『便利な労働力』のなままだろう」と。
業務委託という立場の壁は厚かったのです。
「成長」を正当な報酬と権利がある場所へ
私は、フリーランスから逃げ出すわけではありません。 これまでに培った経験と知識をこれ以上安売りしないために「この場を卒業」し、「新たなステップを踏み出す」のです。
培ったスキルを「資産」として認めてくれる場所へ、1日でも早く自分を連れていかなければならない。自分の誕生日である3月を一つの区切りとして、私は「やりがい」という名の温い檻を出ることにしました。

18年間務めた会社を辞めてフリーランスとして独立したのに、3年でまた会社で働く、私のキャリアを笑う人もいるでしょう。遠回りという人もいるでしょう。40代にもなって人生に迷っている、いまだに自分探しをしているだけだろう、という人もいるかもしれません。
ただ、ひとついえることは、わたしは何も後悔していない、ということです。
何かをやったうえで見えたことは、やらなくて見えないままよりもずっと価値がある。
水が濁ったのは、失敗したからではありません。
何かを注ぎ続けた、その痕跡です。
そしてこの水は、わたしの一部なのです。

だから私は、この水をもって次の場所へ向かいます。
やがて色・姿・形を変え、澄んでいくと信じて。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
まだ自分のなかで消化しきれていないことは、続編でお伝えしたいと思います。


